Koji FUKUSHIMA

人生はステージレース。
ツールを目指したい少年から、人生の大先輩まで。
こ〜ぢとロードバイクで遊ぼう! 
080ー5024ー5400
kojibernard@gmail.com
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コーチと選手=夫と嫁 〈第一話〉パリ シャルルドゴール空港にて
コーチと選手=夫と嫁 それは運命の出逢い 〈全三話〉 
〈第一話〉  パリ シャルルドゴール空港にて

 〜降り立ったとたんにそのまま日本に帰りたくなった僕〜
 僕が初渡仏したとき、夜の9時に大韓航空の経由便でたどり着いた。
 兄が迎えに来てくれる予定だったが、到着ロビーでは会えなかった。空港で不安にかられ、思わず所持金を全部空港の両替所で換金してしまった。銀行で帰ればレートがいいと、兄から言われていた事も忘れて。
 しばらくして兄と出合えるまでの、時間がどれだけ長く感じたか?
 そして、兄と一緒についてきた日本人選手が、顔を包帯で覆っていた。僕はその姿を見たとたんに、不謹慎ながら日本に帰ろうと思った。僕は間違ったところに来てしまった。
 それから、兄が高速をぶっ飛ばす。制限速度が130km。左通行。全てが新鮮。
 日本では夜10時はフランスでは夕暮れどき。どこまでも続く地平線に圧倒されて、気を失って眠った。 

 次の日の朝、ベルナールのクラクションで目が覚めた。当時85歳のベルナールは僕の腹をいきなり殴って来た。そして、訳の分からない言葉を発した。笑え笑え。怒れ、怒れ。を繰り返した。
 全く訳が分からなかった。
 初レースの日。このじいさんにどこに連れて行かれるのか?訳もわからないまま、家にいきなり連れて行かれ、ごちそうを食べされてもらった。
 その前に、腹一杯パスタを食べていたので、もう吐きそうそうだった。
 そして、フランスパンを背中にさして、スタートした。
 フランス選手たちは僕の背中のパンを盗み「侍 サムライ」と叫び、最後に路傍の牛に投げられてしまった。
 それからは、一年間、生傷の絶えない日々だったが、一番ロードレースを体で感じられた青春だった。

  〜空港まで3日通ったフランクの思いやり〜
 1997年、フランクはプロアマのオープン開催のフランス選手権で3位に入った。スプリントでスゴイ追い込みで、誰の目からもフランクが勝ったかと思ったほどの、僅差だった。そしてツールドフランスのマイヨベール(スプリントジャージ)をフランス国民から期待されつつ、30歳でラ・フランセーズ・デジュに入った。23歳までにプロになれない選手は、アマとして仕事をしながらレースする道を生きて行くフランス人にとっては、異例の快挙だった。
 1998年、兄が初めフランスにいった年は、フランクは今でいうプロツアーの選手だった。当時はファックスで連絡を取っていたため、うまくフランクは兄の渡仏の日程が伝わらなかった。時差もあるし、、。150キロ離れた空港に3日間、フランクは通ったらしい。兄が空港に着いたとき、フランセーズデジュの帽子をかぶったフランクは満面の笑みで迎えてくれたらしい。だから兄は絶対に若い選手を迎える時は、遅れないようにと僕に諭すが、、、。

  〜アイコンタクト〜
 兄はプロ選手だったが、僕はまだアマチュア選手だった2003年、若い選手をフランスのクラブチームで育てるボンシャンスは産声を上げた。
 初対面のK選手を迎えた際のパリの空港でのエピソード。
 農家でモニックのコーヒーをゆっくり飲み過ぎた僕は、いつものごとく少し遅れた。僕は初めて渡仏した彼がきっと不安にかられているだろうと、大慌てで空港のエレベータに飛び乗った。そこには一人のアジア(中国)系の自転車と大荷物を担いだ少しふけ顔の男の子が乗っていた。一瞬目が合って、僕は「かれがK君じゃないか」と思った瞬間、彼は目をそらした。「あれ、人違いか。」僕は「こんにちわ」という言葉を飲み込んで、「ニーハオ」と挨拶をした。彼はろくに返事もせずに、よそよそとエレベータから降りて行った。
 それから、到着口で待てど暮らせど、彼は降りてこない。当時は海外でも使えるような携帯電話のサービスもなかった。途方に暮れていたら、公衆電話にかじりつきそうになりながら、必死に操作をしているさっきの中国系の男の子が目に入っていた。僕の携帯が遂に、鳴った。僕は恐る恐る近づいてみた。そして日本語で話かけてみた。「ねえ、俺ここにいるんだけど。
 僕は彼に中国語で話しかけた事を後悔しながら、「なんで、目をそらしたんだよ。俺はお前と初対面だったけど、スター選手の俺の顔と姿は、お前は知ってんだろ!それでフランスで生きて行けんのか?!」僕はおびえる彼を、さらに大声で怒鳴ってしまった、、、、。

 〜これから何人の選手をシャルルドゴール空港で迎えられるか〜 
 引退して8年がたち、今年からボンシャンスのコーチとしてフランスに渡った。そして若い選手をコーチする際には、戸惑いの連続だった。選手との共同生活は、コーチと選手の関係は夫婦や家族の関係と同じだ。初めて空港に迎えに行ったりする時は、どちらも新鮮で、期待に満ちている。
 「わざわざフランスに来るくらいだから、どんなに才能と思いやりと感謝の気持ちに溢れた選手だろう、、、 」
 だけど、選手もコーチもお互いに、欠点ばかりが気になり出す。だけどそこからが本当の付き合いなんだと思う。
 
| 福島康司/こ〜ぢ | - | 21:29 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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康司さん

康司さんでも、自分の事をスター選手と言う事があったんですね。
流石に、謙虚の固まりでは、フランスでは通用しないし、自己主張も必要です。
フランスに来た瞬間に、凄い素質のある選手だと感じるレベルの選手は、日本では育たないのでしょうね。
| 國定です | 2016/09/22 5:53 PM |









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